『桃源暗鬼』は、2020年から連載が始まった少年漫画作品で、現代日本を舞台に「桃太郎」と「鬼」の末裔たちが激しくぶつかり合うダークファンタジーです。
桃太郎神話を反転させた鬼視点の物語構造、血液を媒介にした独自のバトル能力「血蝕解放」など、既存の作品とは一線を画す要素が注目を集めています。
一方で、読者の間では「設定や雰囲気が他作品に似ているのでは?」という声が上がっており、インターネット上でも「パクリ疑惑」が取り沙汰されています。
果たして『桃源暗鬼』は本当に他作品のパクリなのでしょうか?
この記事では、他作品との共通点や違いを細かく比較しながら、『桃源暗鬼』ついて徹底的に検証していきます。
Contents
作品概要
『桃源暗鬼』(とうげんあんき)は、漆原侑来による人気漫画作品で、『週刊少年チャンピオン』にて2020年より連載中です。
日本の昔話「桃太郎」をモチーフにしながらも、「鬼側の視点」で物語が展開される点が最大の特徴です。
従来の「鬼=悪」「桃太郎=正義」という価値観を覆し、鬼を人間社会に紛れて生き、桃太郎機関から迫害される存在として描いています。
主人公の一ノ瀬四季は鬼の血を引く少年であり、桃太郎機関との戦いに巻き込まれていきます。
この「鬼視点の桃太郎」という斬新な着眼点は、物語に豊かな起伏をもたらし、「正義とは何か」「共存は可能なのか」といった普遍的なテーマを探求しています。
「単純な善悪二元論ではなく、グレーゾーンの中で葛藤する登場人物たちの姿は、現代的な解釈として高い評価を得ています。」(ゼンシーア)
また、本作独自のバトルシステムとして「血蝕解放(けっしょくかいほう)」があります。鬼たちは血液を操ることで様々な武器や特殊能力を生み出し、個性豊かな戦いを繰り広げます。
この「血を武器化する」という概念は、バトル漫画として比較的珍しい設定であり、キャラクターの性格や心理状態と密接に結びついているため、単なる戦闘技術以上の深みを持っています。
パクリ疑惑の発端とは?
SNSや読者レビューでの言及が増加
『桃源暗鬼』のパクリ疑惑がささやかれ始めたのは、2021年ごろからTwitterやレビューサイトで以下のような意見が出たことが発端です。
- 「最遊記に似ている設定が多い」
- 「鬼と桃太郎の対立構造が某バトル漫画と酷似している」
- 「血を使う能力バトルは“呪術廻戦”と重なる部分がある」
確かに、最近のバトル漫画に見られる“能力×ダークヒーロー×倫理の曖昧さ”という構造は、本作にも見られます。そのため、初見では「どこかで見たことあるような…」と感じる読者も少なくありません。
『青の祓魔師』との導入部の酷似
複数の読者レビューでは、物語の冒頭展開に関して、「まんま青の祓魔師とそっくり」と感じる意見が見られます。具体的には、
- 主人公が自らの出生の秘密を知り、
- 育ての父が殺される展開、
- その後、戦いの場へ導かれていくという流れ
これらが『桃源暗鬼』と『青の祓魔師』の導入に酷似していると指摘され、「スケボーに乗って登場する人物が淡々と状況を説明する場面まで似ていた」と細部にわたる共通点が挙げられています。
また、主人公の見た目に関しても「変化後のビジュアルが青エクを意識しているとしか思えない」という声もありました。
他の異能バトル作品との比較も
さらに、『ジョジョの奇妙な冒険』『HUNTER×HUNTER』『ONE PIECE』といった往年のバトル漫画と比べ、「どうしても比べられてしまうジャンル」ゆえに、似通って見えてしまうという構造的な問題も指摘されています。
特に、「キャラクターの描き分けが弱く、既視感を抱く」といった意見も多く見られ、王道ジャンプバトル漫画の“型”に近い展開がパクリと誤認される要因になっていると考えられます。
このように、SNSや読者レビューを通して広まった「似ている部分」への指摘が、パクリ疑惑の火種となったのです。
鬼と桃太郎の設定は独創的?それともありがち?
『最遊記』や『鬼滅の刃』との比較
『桃源暗鬼』が参考にしたと語られる作品の一つが『最遊記』です。作者・漆原侑来自身も『最遊記』の影響を受けていることを公言しています。
- 『最遊記』:中国古典『西遊記』を現代的に再解釈し、人間と妖怪の対立を軸に物語を展開。キャラクター重視でストーリーが進行。
- 『桃源暗鬼』:日本昔話『桃太郎』を下敷きに、鬼を主人公としたことで「善悪の相対性」「血統による運命」といったテーマを強調。
一見似た構図ながら、『桃源暗鬼』では桃太郎を絶対的な正義とせず、鬼側の視点から「正義とは何か」を問いかける構造になっており、その点で一線を画しています。
『鬼滅の刃』との鬼設定の違い
『鬼滅の刃』も鬼を題材にしていることから、類似性を指摘されることが多い作品ですが、両作には明確な違いがあります。
- 『鬼滅の刃』:鬼は基本的に“悪”として描かれ、人間はその脅威に立ち向かう側。例外的に悲劇的背景を持つ鬼もいるが、人間と鬼の関係は明確に対立構造。
- 『桃源暗鬼』:鬼と桃太郎の双方に血筋と正義が存在し、登場人物によって“敵”の定義が変わる。鬼にも桃太郎にも善人・悪人が存在する。
このように、『桃源暗鬼』は善悪のグラデーションが強く描かれており、読者の視点によって誰が正しいかが変化する構造になっています。
桃太郎神話の再構築という着眼点
さらに、『桃源暗鬼』の設定上最も独創的なのは、一般的に「善」とされる桃太郎を、必ずしも正義の象徴としない点にあります。
日本人なら誰もが知る“桃太郎”のイメージをあえて反転させ、「鬼側の真実」や「歴史の勝者による正義の押し付け」といった構造を描くことで、読者に新たな視座を提供しています。
桃太郎=国家権力、鬼=少数派や被差別的存在という暗喩も読み取れる構造となっており、ただのバトル漫画という枠を超えた社会的テーマも内包しています。
このように、『桃源暗鬼』の鬼と桃太郎の設定は、既存の作品に触発されつつも、明確に差別化された構造とテーマ性を持っていると言えるでしょう。
能力バトルの類似点は必然か?
呪術廻戦・東京喰種などとの類似性
「血を媒介にする能力バトル」という設定において、
- 『呪術廻戦』の「血塗(けち)」
- 『東京喰種』の「赫子(かぐね)」
などを思い出す読者も多いでしょう。しかし、『桃源暗鬼』の血蝕解放は、単なる流血演出ではなく、キャラクターの精神性・趣味・過去が能力の形に影響を与えるという点で非常に個性的です。
例えば、
- 主人公・一ノ瀬四季の「銃葬神器」は、エアガンを集める癖から着想されている
- 皇后崎迅の「七つの断罪」は、彼の内面の怒りと復讐心が切断器具として具現化している
このように、「能力=過去と性格の反映」という構造は、決して一律的な“パクリ”ではないと考えられます。
登場キャラの造形と台詞はどうか?
セリフや背景から見えるキャラ独自性
たとえば、無陀野無人の「仲間が死ぬたびに身体にタトゥーを彫る」という行動は、過去のバトル作品にも類例がない個性的な設定です。
また、四季の「俺の銃、ぶっ放してやるよ」などのセリフには、彼のやんちゃさと正義感がにじみ出ています。テンプレ的なセリフやキャラ設定とは一線を画していると感じられます。
「パクリ」と感じる原因はなにか?
読者が“似ている”と感じる構造的理由
では、なぜ『桃源暗鬼』がパクリと感じられるのか?
設定の組み合わせが既視感を与える:
伝統的モチーフ(桃太郎)+ ダークヒーロー+ バトル学園
流行の作風に準拠している:
ダークな世界観や過激な描写、異能力による戦闘など
メディア展開の速さが話題性を加速:
アニメ化や舞台化で注目度が上がり、批判的意見も目につきやすくなる
結論:『桃源暗鬼』はオマージュ的作品であり、パクリではない
既存ジャンルへのリスペクトと独自の切り口が共存している
多くの作品が持つ“構造的類似”は、ジャンル作品の宿命とも言えます。しかし、『桃源暗鬼』は明確に鬼を主人公にしたことで物語の視座を変え、読者に「正義とは何か」を問いかけています。
また、能力設計にキャラクターの内面を強く反映させる点、各陣営に立場や信念を持たせた点においても、独自性は十分に認められる作品です。
したがって、『桃源暗鬼』は“パクリ”というよりも、過去の名作へのオマージュを活かしながら、現代的なテーマと世界観で再構築された意欲作と評価すべきでしょう。